初めての目合ひ(まぐわい)で知った、性と癒し|5時間ただ繋がって感じたこと

この記事は、約1年前にnoteに書いた私自身の体験を、今の視点からあらためて書き直したものです。

今振り返ると、

この日の経験は、私の「性」に対する価値観が大きく変わるきっかけになりました。

それまで私が知っていたセックスと、この日に経験したものは、同じ「性行為」という言葉で括るには、あまりにも感覚が違ったからです。

私はこの経験をきっかけに、「セックス」ではなく、

という言葉を意識するようになりました。

目次

「寂しさを埋めるためのセックス」をやめようと思った

2025年1月末。

私は、自分の中に強い自己否定があることに気づきました。

自分の内側を観察していくと、

「嫌われたくない」

「ひとりぼっちにしないで」

というメッセージがあることが、少しずつ明確になっていきました。

特に私にとって、

「ひとりぼっちにしないで」

という感覚はとても強いものでした。

そして、自分の性についても振り返るようになりました。

私は本当にその人と繋がりたいから性を求めているのか。

それとも、自分の寂しさを埋めてもらうために相手を求めているのか。

考えていくうちに、

後者の性はもういらないと思うようになりました。

性欲そのものを否定したわけではありません。

むしろ、自分の身体を自分で愛しながら気持ちよくすることもできる。

性欲を感じたからといって、必ず誰かに満たしてもらう必要はない。

そう思えるようになったことで、性に対する執着が少し軽くなりました。

そして私は、これから誰かと身体を重ねるなら、

寂しさを埋めるためではなく、もっと深く相手を感じる時間にしたい。

当時の私はそれを、

「エネルギー交換」

と呼んでいました。

とはいえ、そのときの私はまだ、

目合ひが何なのかさえよくわかっていませんでした。

目合ひ(まぐわい)というのは施術をさせていただいたお客様に教えてもらい、そこから目合ひという言葉を使い始めました。

不思議なタイミングで、一人の女性と出会った

そんなことを考えるようになって間もなく、SNSで一人の女性を見つけました。

彼女の投稿を読んでいると、とても共感するものがあり、

「この人に会ってみたい」

と直感的に感じました。

メッセージを送ると、彼女も私に会ってみたいと言ってくれました。

翌日、埼玉のとある駅で待ち合わせをして、一緒にご飯を食べました。

そこで彼女の人生について聞きました。

17歳の時に両親と離れ、自分で生きていくことやダンス留学を実現するため、夜の世界で働き始めたこと。

そこで長い時間を過ごし、苦しい経験や性被害も経験していたこと。

そして、男性に対する恐怖が残っていること。

男性が近づいてくると、

「この人にも下心があるのではないか」

と身体の中で赤信号が灯ってしまう。

それでも彼女は、

これからセラピーの仕事を本気でやっていきたいと話していました。

そのためには、

まず自分自身の感情や過去とも向き合う必要がある。

そう話す彼女を見て、私はすごい人だなと思いました。

私たちは、思っていた以上に似ていた

話していくうちに、

私たちにはいくつか似ているところがあることがわかりました。

  • 「自分には存在する価値がない」という感覚
  • 「ひとりぼっちになりたくない」という寂しさ
  • 子どもの頃の父親との関係
  • 結婚や子どもについて昔からあまり考えてこなかったこと

もちろん、

同じ経験をしてきたわけではありません。

彼女の痛みは彼女のものであり、私の痛みは私のものです。

それでも、彼女の話を聞いていると、どこか自分自身を見ているような感覚がありました。

だからでしょうか。

初めて会ったにもかかわらず、

不思議なくらい深いところまで話すことができました。

帰り際、次に会える日を確認しました。

「水曜日、空いてる?」

彼女は笑いながら予定表を見せてくれました。
その週はびっしり予定が入っている。

なのに、水曜日だけがぽっかり空いていました。

当時の私は、
「宇宙が味方している」
なんて思っていました。

水曜日、彼女が私の家に来た

水曜日。

彼女が家に来ました。

最初は二人で話していました。

すると、気づいたときには彼女が泣いていました。
私は隣に座り、彼女を抱きしめ、手をそっと包みました。
何か特別なことを言ったわけではありません。

励まそうともしませんでした。

ただ、

そこにいました。

今振り返っても、この「ただそこにいる」という感覚は、私が現在スキンシップについて考えるうえで、とても大切な原点になっています。

人は、必ずしも誰かに答えを出してもらいたいわけではない。

変えてもらいたいわけでもない。

ただ、自分の感情が出てきたときに、逃げずにそばにいてくれる人がいる。

それだけで心と身体が少し安心することがあります。

「嫌だったら、嫌と言っていい」

数日前、

初めて一緒に食事をしたとき、

私が隣に座ると彼女の身体には明らかな緊張がありました。

だから私は向かいの席へ移りました。

でも、この日は違いました。

隣に座っても、以前ほどの恐怖を感じていないように見えました。

私は彼女に何度も伝えました。

「したくないことは、しなくていいよ」

「嫌だったら、嫌と言ってね」

「あなたが嫌なことはしない」

「あなたの気持ちを尊重する」

今の私がこの経験を振り返ったとき、

目合ひ以前に大切だったのは、

もしかするとここだったのではないかと思います。

身体を重ねる前に、「NOと言っても関係が壊れない」という安心があること。

性の中では、相手に触れる技術よりも、こちらのほうがずっと大切なのかもしれません。

一緒にお風呂に入った

彼女が落ち着いてから、一緒にお風呂に入りました。

お風呂の中でも、いろいろな話をしました。

そして、少しずつ目が合うようになりました。

私は、

「あなたの目をもっと見たい」

と伝えました。

でも彼女は、

私の目を見ることを怖がっていました。

人の目を見ると自分が映る

私の目を見ることで、

彼女自身の中にあるものまで見えてしまうように感じていたのではないかと思いました。

  • 過去の仕事について抱えていた感情
  • 自分は汚れているのではないか
  • 自分には価値がないのではないか
相手の目をよく見るとその目に反射している自分が見えます。だから、自分を見るのが怖い人は人の目を見るのが怖いのかもしれないと感じました。もちろん、みんながそうではないと思いますが。

それから、お互いの背中を洗いました。

これが思いのほか、

私にとっても癒される時間でした。

「誰かに背中を洗ってもらったのは、いつぶりだろう」と思いました。

背中は自分では見えません。

そして、自分の手だけでは丁寧に触れるのも難しい場所です。

そこを誰かに優しく洗ってもらう。

たったそれだけなのに、不思議なくらい安心しました。

同時に、普段の私は自分の身体をどれくらい丁寧に扱っていただろう、

とも思いました。

その二つは、意外と離れていないのかもしれません。

初めて「目合ひ」を経験した

お風呂から上がり、気づけば布団の中でキスをしていました。

服を脱ぎ、裸になり、お互いの身体に触れました。
急ぐ必要はありませんでした。

触れる。

キスをする。

肌の温度を感じる。

呼吸を感じる。

彼女から、
もっと深く繋がりたいという言葉がありました。

その直前、避妊について二人の希望が食い違いました。

彼女はコンドームを使ってほしいと言い、

当時の私は使いたくないと伝えました。

だから私は、

「じゃあ、入れないね」

と言って彼女の隣に横になりました。

すると、彼女が泣き始めました。

そこで彼女は、過去に避妊について自分の意思を尊重されず、その結果、妊娠と中絶を経験したことを話してくれました。

私は彼女の頭を撫でながら、ただ話を聞きました。

この出来事を今振り返ると、とても大切な場面だったと思います。

性において、相手が一度「嫌だ」と言ったら止まる。

そして、その「嫌だ」を説得して変えようとしない。

身体を重ねることよりも、その人の意思が尊重されることのほうが大切です。

しばらくして、彼女自身からあらためて、
私と繋がりたいという意思を伝えてくれました。

そこから、

私にとって初めての「目合ひ」が始まりました。

避妊をしないことをおすすめしているわけではありません。妊娠や性感染症のリスクについて二人で考え、お互いが納得できる方法を選ぶことが大前提です。

私自身の感覚としては、目合ひでは二人の間にできるだけ隔たりがなく、直接触れ合うことに特別な意味を感じています。

コンドームという一枚の膜があることで、その感覚や「巡り」が変わると感じています。

ただ、それ以上に大切なのは、二人が心から安心し、同意した状態で繋がること。

どちらか一方の安心を犠牲にしてまで、隔たりをなくすことが目合ひだとは、私は思いません。

動かない。ただ、繋がっている

それまで私が知っていたセックスの多くは、映像作品などから覚えたものでした。

腰を動かす。

刺激を強くする。

快感を高める。

そして絶頂を目指す。

でも、

その日はそうしたことをしたいと思いませんでした。

私はほとんど動かず、ただ彼女と繋がっていました。

なぜか、動けなかった。いや、動かなかった。

呼吸をする。

身体の内側を感じる。

たまに目を見る。

それだけでした。

実は初めて女性のお膣が冷たいというのをここで感じました。本当に冷たくてかわいそうと思うくらい冷たかったです。お膣は狭く、まるでそこに誰もいなく、とても心細い気持ちが伝わってきました。これは信じ難いことかもしれませんが、本当に感じたことです。

どれくらい時間が経ったのかわかりません。

その間、彼女はずっと、

「子宮が癒されている」

と言い続けていました。

「子宮がどんどん癒されている」

と言い続けていました。

医学的に何かが「治った」という意味ではありません。

でも、

彼女自身の身体の中で何らかの変化が起きていることは、

その言葉や表情から感じました。

子どものように笑った

途中、一度身体を離して、

今度は私が彼女から触れてもらいました。

そのとき、ものすごく気持ちよくなって、

子どものように笑っていました。

キャッキャッと、

丹田の奥から笑いが出て部屋中を響き渡る。

性的な時間なのに、

どこか子どもの頃に遊んでいたときのようでした。

「楽しい」

ただ、それだけ。

この感覚は今でもよく覚えています。

特に背中を優しく触れられた時に、電気のようなビリビリを感じてそれが体中を走っていました。

性には、大人っぽく振る舞う必要も、上手である必要も、相手を満足させなければならないという役割もなくていい。

この日の私は、

それを身体から教えてもらったように思います。

身体の奥で、螺旋のようなものを感じた

その後、もう一度二人で繋がりました。

最初に繋がったときと比べて、

私は彼女の身体が温かく、柔らかくなったように感じました。

ここで本当にびっくりしたのが、彼女のお膣が温かくなっていたこと。

そして、先ほどまでのような、孤独で忘れられているような感じがなくなっていたこと。

まるで彼女の意識が、子宮やお膣に戻ってきたような感覚でした。

そして、

それまで経験したことのない感覚が現れました。

螺旋の動き

二人の身体が繋がっている場所の奥で、何かが動いている。

円を描くような、渦のような、螺旋のような感覚。

それが少しずつ上へ昇っていくように感じました。

私は目を閉じて、

当時の私は、

それを「エネルギー」と呼びました。

今でも、それが生理学的に何だったのか、

あるいは完全に主観的な身体感覚だったのかはわかりません。

ただ、

私の身体には確かにそう感じられました。

そして、とても温かく、愛のようなものを感じました。

「なんだこれは?」

本当に、そのくらいしか言葉が出ませんでした。

気づけば5時間が経っていた

時間を見ると、20時30分でした。

始まったのが15時30分頃。

時間軸が歪んでいたのか、時間の経過を全く感じていませんでした。

でも不思議なことに、

私はほとんど空腹を感じていませんでした。

むしろ、

何かをたくさん受け取った後のような満足感がありました。

そして、

特に不思議だったのが丹田です。

ただ軽いだけではありません。

丹田にぽっかり穴が空いたような軽さ

丹田にぽっかり穴が開いたような、
真空が生まれたような、
小さな宇宙空間が身体の中にできたような感覚。

「なんだ、この軽さは」

自分でも驚きました。

彼女を駅まで送って、

家に帰って眠りました。

翌日になっても、身体の中に「宇宙」が残っていた

翌朝。

起きても、まだ丹田の軽さが残っていました。

身体の中心に、空間がある。

そこにずっとこびりついていた何かが、なくなってしまったような感覚でした。

当時の私は、

「第一と第二チャクラや丹田に溜まっていた感情やトラウマが抜けたのではないか」

と考えていました。

今の私は、

それが本当に「トラウマがなくなった」ということなのかはわかりません。

トラウマや心の傷は、

一度の性体験だけで簡単に治るものとして扱いたくありません。

ただ、

私自身の身体が、それまでとは明らかに違う軽さを感じていた。

これは今でも大切にしている事実です。

目合ひは癒す力を持っている

そして1年半ほど経った今、

私はこの経験を振り返って、目合ひには人を癒す力があるのではないかと感じています。

ただし、それは、

「私が彼女を癒した」

「彼女が私を癒した」

ということではありません。

当時の私は、彼女と私がお互いを癒したという感覚を強く持っていました。

もちろん今でも、あの時間の中で、二人の身体や心に何か大きなものが動いたと思っています。

でも今は、

誰かが誰かを「癒してあげる」のではなく、

安心できる関係の中で、その人自身が持っている「癒える力」が自然と動き始めるのではないかと思っています。

私はただ、彼女の隣にいた。
彼女の「嫌だ」という気持ちを尊重した。
泣いているときにそばにいた。
一緒にお風呂に入った。
身体に触れた。

そして、目を合わせながら繋がった。

その安心の中で、彼女自身の身体が何かを感じ、彼女自身の中から何かが動き始めた。

そして、それは私も同じでした。

彼女が私を治したわけではありません。

彼女と触れ合い、目を合わせ、安心して同じ時間を過ごす中で、私自身の身体がゆるみ、

私の中にあった何かも自然と動き始めたのです。

私は目合ひには、

と感じています。

男性性と女性性は、男性と女性という性別そのものではありません。

まっすぐ進む力と、受け入れる力。

与える力と、包み込む力。

動く力と、ゆだねる力。

その二つが触れ合い、一方通行ではなく循環していく。

すると、身体の奥に長い間溜め込んできた緊張や感情、言葉にできなかったものまでが、少しずつ動き始めることがあります。

私自身の感覚としては、

身体の中をエネルギーが巡りながら、滞っていたものや、こびりついていたものを掻き取っていくような感覚でした。

まるで身体の中の「老廃物」まで洗い流されていくような感覚です。

もちろん、これは医学的な意味で老廃物が排出されるという話ではありません。

もっと感覚的なものです。

ずっと握りしめていたものがほどけていく。
身体の奥にあったブロックが外れていく。
そして、また巡り始める。

だから私が感じている「目合ひの癒す力」とは、

誰かが誰かを癒すことではありません。

二人が安心してそこにいて、お互いを尊重しながら触れ合うことで、
男性性と女性性のエネルギーが巡り、
それぞれの身体が本来持っている「癒える力」が動き始める。

身体が勝手にゆるみ、
心が勝手にほどけ、
滞っていたものが流れていく。

目合ひとは、そんな深い循環が起こる時間にもなり得るのではないか。

1年半経った今、私はそんなふうに感じています。

この日から、私にとって「性」の意味が変わった

この経験以前、私にとって性は、

どこか「快感を得るもの」でした。

気持ちよくなる。

射精する。

満たされる。

でも、この日の後から少しずつ変わりました。

  • 動かなくてもいい
  • 絶頂を目指さなくてもいい
  • 何時間でもただ繋がっていていい
  • 泣いてもいい
  • 笑ってもいい
  • 途中でやめてもいい
  • 裸で抱き合っているだけでもいい
  • 目を見るだけでもいい

そして何より、

相手と自分の身体が安心していること。

そこから生まれる性があることを、私は初めて知りました。

この経験が、

現在の私が「目合ひ」というものを考え続ける原点になっています。

そして、今でも答えが出たとは思っていません。

目合ひとは何なのか。

なぜ身体の奥であんな感覚が起きたのか。

なぜ終わった後、あれほど静かで軽かったのか。

なぜ冷えていたお膣があんなに温かくなったのか

まだまだわからないことだらけです。

だから私は、

これからも自分の身体を通して、

性と触れ合いと安心について研究していきたいと思っています。

約1年半前、

まだ「目合ひ」という言葉の意味さえよくわかっていなかった私に、

身体を通してその世界を教えてくれた彼女には、今でも感謝しています。

あの日がなかったら、

今の「スキンシップ研究家 水月遊」は、いなかったかもしれません。

本当にありがとう。

彌榮(やさか)。


目合ひを、もっと深く知りたい方へ

目合ひとは何なのか。
性、身体、女性性・男性性、人と人とのつながり、自分との向き合い、
私が探究していることをメールでお届けします。

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この記事を書いた人

目合ひに出会ってから、セックスに戻れなくなりました。

セラピスト・カウンセラー・目合ひの人

性欲も、睡眠欲も、食欲も。
人間に自然に備わっているものを否定せず、
自然の流れに沿って生きることを探究しています。

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