命を授かることのできる身体を持つ女性は、この地球においてとても大きな役割を担っている。

私たちは昔から、
「母なる地球」
「母なる大地」
「母なる海」
という言葉を使ってきました。
大地を女神として捉えるガイアのような存在や、女性神である天照大神も、日本や世界の文化の中に登場します。
そして、地球も、大地も、太陽も、月も、子宮も、どこか「丸さ」を持っています。
私は、この「丸さ」には、受け入れ、包み込み、育むという女性性の象徴的な意味があるように感じています。
自然を見渡してみても、私たちは「直線的に動かす」のではなく、循環し、揺らぎ、開いたり閉じたりするものの中に生命の美しさを感じることがあります。
- 花が咲くタイミング。受粉するタイミング
- 種がまかれ、芽が出るタイミング
- 海の干潮と満潮
- そして、月と月経のリズム
自然界には、何かを無理に動かそうとするのではなく、それぞれが本来持っているリズムやタイミングがあります。
開くこと。
受け入れること。
感じること。
そして、また閉じること。
私は、こうした自然のリズムを見ていると、目合ひ(まぐわい)にも通じるものがあるように感じます。
目合ひについて身体を通して探究していくと、男性が動かして女性を気持ちよくするという構造ではなく、むしろ女性の身体や感覚を中心に、二人の身体がつながっていく世界が見えてきます。
だから私は、目合ひを考えるとき、まず「女性」という存在を中心に置いて考えてみたいのです。
今回は、セックスと目合ひ(まぐわい)の違いを、「なぜ目合ひでは女性が中心になるのか」という角度からお話ししていきます。
セックスと目合ひ(まぐわい)の大きな違いは「主導権」にある?
ここでいう「主導権」とは、おちんとおまんが触れ合うところから、射精に至るまでの身体の動きを、どちらが主にリードするのかという意味で使います。
一般的なセックスでは、男性が陰茎を挿入し、身体を動かし、射精する。
そして、射精すると性行為が終わる。
もちろん、すべてのセックスがこの形ではありません。
けれども、私たちが目にするAVや性産業の表現には、男性が動いて女性を刺激し、男性が射精することで終わるという構造が多く見られます。

その結果、
「男性が気持ちよくなり、射精することが性行為のゴール」
というイメージが、知らないうちに刷り込まれてしまうことがあります。
射精すると終わる。
射精をコントロールするのは男性。
そんな性のイメージが当たり前になっているのも、ある意味では自然なことなのかもしれません。
なぜなら、私たちは「目合ひ(まぐわい)」についてほとんど教わってこなかったからです。
では、目合ひは何が違うのでしょうか。
目合ひ(まぐわい)は、これまでの性の捉え方を逆転させる





おちんはおまんの入り口で待つ。
すると、身体が緩み、膣口が自然に開いていく。
そして、少しずつ男性器を中へ招き入れていく。



そして、男性側が積極的に動かなくても、身体同士が触れ合うことで、さまざまな感覚が生まれていきます。
特に印象的だったのは、「自分が何かをしなければ」という感覚がなくなったことです。
おちんを動かして刺激を与える。
相手を気持ちよくしようと頑張る。
次はこうして、その次はこうする。
そういった「何かをしなければ」という意識から離れていく。
ただお互いに緩み、身体に起きていることを感じ続ける。
その中で、二人の身体が一つのもののように感じられていきました。
そして最終的には、女性側の身体の変化が男性側の射精へとつながっていくように感じられました。



私にとってこれは、とても神秘的な体験でした。
「自分が何かをしなければ」と頑張らなくても、身体には身体自身の動きがある。
ただ自然に身を委ねていくことで、その動きが現れてくる。
それが、私が目合ひを通して最も強く感じたことでした。
目合ひは、人間に刻まれている本来の動きなのかもしれない
この体験を通して私が感じたのは、身体を重ねた後に起こることのすべてを、頭でコントロールする必要はないのではないかということです。
無理にテクニックを使う。
技術で相手を刺激する。
何か新しいことを加える。
そうしなくても、私たちの身体には、もともと備わっている感覚や動きがあるのではないでしょうか。
私たちは普段、頭で考えすぎています。
「こうしたほうが気持ちいい」
「相手を喜ばせなければ」
「もっと刺激しなければ」
そんな意識で身体を動かしているうちに、本来感じられるはずだった身体の声を聞けなくなっているのかもしれません。



男性が主導して刺激を与え、射精をゴールにする。
その形だけが性の中心になってしまうと、次第に「もっと強い刺激が必要」という方向へ進んでしまうことがあります。
そして、SMグッズやアダルトランジェリー、さまざまな性的コンテンツなど、外から刺激を加えることで性を豊かにしようとする方向へ向かうこともあります。
もちろん、それらを楽しむこと自体が悪いという話ではありません。
ただ私は、そこに進む前に、
「そもそも私たちの身体には、どんな性の感覚が備わっているのだろう?」
と、一度立ち止まってみてもいいのではないかと思っています。
縄文の人々は、女性の身体をどう見ていたのか
縄文時代の土偶には、女性の身体を表現したものが数多くあります。
乳房や大きなお腹などが表現された土偶もあり、安産や豊穣、そして「命を生み出す力」との関係が考えられています。
もちろん、縄文人が「女性が主役だった」と現代の価値観のまま断定することはできません。
また、土偶がオーガズムや性的エクスタシーを表現したものだったと断定することもできません。
それでも、少なくとも縄文時代の人々が、女性の身体や、そこに宿る「命を生み出す力」を重要なものとして捉えていたことは、土偶から感じ取ることができます。
私はそこに、現代の私たちが忘れてしまった、
「女性の身体を尊ぶ感覚」
の一端を見るような気がしています。
目合ひを通して、女性が中心となる性を取り戻す
目合ひは、男性が女性をどう気持ちよくするかという話だけではありません。
女性が自分の身体を感じる。
自分の身体が開いていくタイミングを感じる。
受け入れることを急がない。
そして男性も、何かをしようと頑張るのではなく、相手の身体の変化を感じながら、自分自身も緩んでいく。
そこには、「男性が動かして女性を気持ちよくさせる」という従来の性とは違った関係性があります。
私はそれを、女性の身体を中心に二人がつながっていく性のかたちだと感じています。
目合ひセッションやリトリートを通して、目合える身体に戻りませんか?


私は以前、目合ひについて何も知らなかった女性と2日間を過ごし、その中で目合ひを経験しました。
その体験から、
「特別な人だけができるものではないのかもしれない」
「身体が本来持っている感覚に戻っていけば、誰でも目合ひを経験できる可能性があるのではないか」
と思うようになりました。
それから、自分自身の身体を探究しながら、
「どうすれば、より早く身体の緊張をほどき、感じられる身体に戻っていけるのか」
を考えてきました。
少しずつですが、そのために必要なことも見えてきています。
現在は、その身体感覚を実際に体験していただくために、目合ひのセッションやリトリートを行っています。
「目合ひについてもっと知りたい」
「パートナーとの身体のつながりを変えてみたい」
「性をもっと深く、自分の身体から感じてみたい」
そんな方は、ぜひ一度以下のセッションをご覧ください。
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