結婚生活がしんどい…その原因は「育った家庭環境」にあるかもしれない

  • 「結婚生活がしんどい」
  • 「なぜ、この人とはこんなにすれ違うんだろう」
  • 「普通に話したいだけなのに、なぜかいつも喧嘩になってしまう」

そんな悩みを抱えている夫婦は少なくありません。

結婚したばかりの頃は、お互いに好きで、一緒に幸せな家庭を築いていこうと思っていたはず。

それなのに、一緒に暮らす時間が長くなるにつれて、話し方がきつくなる。

些細なことでイライラする。相手の言葉を素直に受け取れない。

なぜか同じような喧嘩を何度も繰り返す。

そして気づけば、

「この人と結婚したのは間違いだったのかな」

と思うほど、結婚生活がしんどくなっている。

もし、そんな状態になっているとしたら、一度考えてみてほしいことがあります。

それは、

「今、夫婦の間で起きていることは、本当に二人の間だけで生まれたものなのか?」

ということです。

私たちは結婚するとき、一人で結婚するわけではありません。

少し不思議な言い方ですが、

自分が育った家庭の「当たり前」も一緒に結婚生活へ持ち込んでいることがあります。

異なる家庭環境で育ったもの同士が一緒になるのを表している

両親がどんなふうに会話していたのか。

夫婦喧嘩をしたとき、どんな態度をとっていたのか。

怒ったとき、怒鳴る家庭だったのか。黙り込む家庭だったのか。

「ありがとう」や「ごめんね」を言う家庭だったのか。

抱きしめたり、触れ合ったり、愛情を言葉にする家庭だったのか。

そして、自分自身が親からどのように扱われてきたのか。

家庭の基準が子供の基準になる


子どもにとって、最初に見る人間関係のひとつが「家庭」です。

そこで見聞きし、体験したことが、知らないうちに

「夫婦とはこういうもの」

「愛とはこういうもの」

「人と人はこうやって関わるもの」

という自分なりの基準になっていることがあります。

だからこそ、

「絶対に親のようにはならない」

と思っていたのに、気づけば似たような言い方をしていたり、

自分が子どもの頃に嫌だったはずの態度を、パートナーにしてしまったりすることもあります。

反対に、自分が雑に扱われることに慣れすぎていて、本来なら「これはおかしい」と感じるような扱いにも気づけないこともあります。

もちろん、育った家庭環境だけですべてが決まるわけではありません。

過去が、その人の未来を決めるわけでもありません。

大切なのは、

自分の中にどんな「当たり前」が残っているのかに気づくこと。

気づくことができれば、今まで無意識に繰り返していたものを見直すことができます。

この記事では、結婚生活がしんどくなる背景に「夫婦それぞれの育った家庭環境」がどのように関係する可能性があるのか。

そして、二人でその負のループから抜け出すために何ができるのかを、一緒に考えていきたいと思います。

目次

結婚生活がしんどい原因は「今の夫婦関係」だけではないかもしれない

私たちはみんな、幼少期から大人になるまで家庭の中で育ちます。

家庭とは言い換えると「宗教」に似ています。

その家のルールや価値観があり、それに染まります。

もちろん、大人になって両親から離れたら自分の色が出てきて自分の価値観を持ち始めます。

ただ、育った家庭環境の「当たり前」がまだ残っていることがあります。

例えば:

  • 喧嘩したら話し合う家庭/無視する家庭
  • 感情を言葉にする家庭/我慢する家庭
  • よく触れ合う家庭/ほとんど触れない家庭
  • 謝る家庭/絶対に謝らない家庭
  • 穏やかに質問する家庭/「そんなことも分からないの?」と返す家庭

これは対極に見えますが、その価値観の中で育った本人からするとそれは「日常」や「当たり前」です。

そして、結婚すると二人の人間が暮らすだけでなく、「二つの家庭文化」が一つの家の中で暮らし始めることにもなります。

つまり、結婚生活がしんどくなるのはこの「家庭文化の違い」が生み出すギャップにあるかもしれません。

子どもは親の振る舞いから「愛とは何か」を学んでいく

子供は常にお父さんとお母さんの言動や行動を見ている

子供はお父さんやお母さんの振る舞いや言動を見て、

「愛とは何か」を学んでいきます。

親の夫婦関係が「夫婦とはこういうもの」という基準になることがあります。

両親がいつも怒鳴り合っていた。

無視し合っていた。

父親が母親を見下していた。

母親が父親をいつも否定していた。

逆に、よく話し合い、触れ合い、尊重し合っていた。

こうした光景を子どもは長年見ています。

そのため、それが本人の中で「人間関係の普通」になっている可能性があります。

例えば、子どもの頃から毎日のように家で靴を脱いで生活していた人は、

「家に入ったら靴を脱ぐ」

ということを、いちいち疑いません。

誰かに毎日、

「家では靴を脱ぐんだよ」

と説明され続けたからではありません。

毎日そうしている家族を見て、自分も同じように生活してきたから、それが自然と「当たり前」になったのです。

過程環境の違いが異なった常識を子供に植え付ける

人との関わり方も、これと少し似ているのかもしれません。

両親がいつも穏やかに話し合っている家庭で育てば、

「意見が違っても話し合う」

という光景を何度も目にします。

反対に、

何か問題が起きるたびに怒鳴る。

相手を無視する。

馬鹿にする。

物に当たる。

そんな関わり方を何年も見続けて育ったとしたら、それが決して心地よいものでなくても、

「人と人はこうやって関わるもの」

という自分の中の基準のひとつになってしまう可能性があります。

子どもは、夫婦関係の教科書を読んで育つわけではありません。

目の前にいるお父さんとお母さんの関係そのものが、最初の「人間関係の教科書」になることがあるのです。

「嫌だったはずのこと」を大人になって繰り返してしまうこともある

「父親みたいには絶対になりたくない」

そう思っていたのに、気づけば妻に父親と同じような口調で話していた。

「母親みたいにはなりたくない」

そう思っていたのに、気づけば夫に母親と同じような態度をとっていた。

このようなことが起こる理由の一つとして考えられるのが、「嫌なことに意識を向け続けることで、かえってそのイメージが自分の中に強く残ってしまう」ということです。

どういうことかというと、

例えば、

「月は四角ではない」

と何度も考えたとします。

「四角ではない」と否定しているにもかかわらず、そのたびに頭の中には「月」と「四角」というイメージが浮かびます。

お母さんのようになりたくないと思えば思うほど、お母さんを引き寄せてしまうというのを表している

それと同じように、

「父親のようには絶対になりたくない」

と思い続けるということは、ある意味では、父親の振る舞いや言葉遣いを何度も思い浮かべていることでもあります。

「母親のようになりたくない」

と思えば思うほど、母親の態度や振る舞いに意識を向け続けることになります。

さらに、それを何年、何十年と身近で見ながら育ってきたとしたら、自分でも気づかないうちに、その話し方や反応、態度が身についている可能性があります。

その結果、

一番なりたくなかったはずの父親や母親と、似たような振る舞いをしている自分に気づくことがあるのです。

雑に扱われることに慣れると「おかしい」に気づきにくくなることがある

これはDVや家庭内暴力、パートナーからの暴言などにも関係することですが、幼い頃から雑に扱われる環境で育つと、「雑に扱われること」そのものに慣れてしまうことがあります。

一方で、人を雑に扱うことが当たり前の家庭で育てば、「雑に扱うこと」に違和感を持ちにくくなることもあります。

すると大人になってからも、

「怒鳴られる」

「馬鹿にされる」

「否定される」

「冷たく突き放される」

といった関係に対して、「これはおかしい」と気づきにくくなることがあります。

幼少期からそのような家庭で暮らしていれば、雑に扱うことも、雑に扱われることも、日常の一部になっているからです。

さらに、雑に扱われることに慣れていると、自分でも気づかないうちに、似たような人間関係を繰り返してしまうことがあります。

例えば、

  • 嫌なことをされても我慢する。
  • 本当は傷ついているのに「大丈夫」と言う。
  • 相手の機嫌を優先して、自分の気持ちを後回しにする。

こうした振る舞いを無意識に繰り返すことで、結果的に「自分が雑に扱われる関係性」が続いてしまうこともあります。

これは、本人が「雑に扱われたい」と望んでいるわけではありません。

ましてや、暴力や暴言を受ける原因が本人にあるという意味でもありません。

ただ、人は必ずしも「幸せな関係」を自然だと感じるとは限らず、「慣れ親しんだ関係」を自然だと感じてしまうことがあるのです。

そのため、自分でも気づかないうちに、育った家庭で経験したものと似た人間関係を繰り返してしまうことがあります。

お互いを尊重しながら意見を伝えること。

意見がぶつかったときに、話し合いで問題を解決すること。

間違ったら素直に謝ること。

相手の気持ちを聞き、お互いの考えをすり合わせること。

そうした別のコミュニケーションの形があることを、そもそも十分に知る機会がなかった可能性もあります。

少し極端な言い方をすれば、「井の中の蛙」のような状態です。

その家庭の中だけで長い時間を過ごしていると、それが世界の「普通」になってしまいます。

つまり、

周りから見れば「明らかにおかしい」と感じる環境でも、その中で育った本人にとっては「いつもの日常」になってしまうことがあるのです。

だからこそ、大人になってから一度、

「これは本当に普通なのだろうか?」

「私は大切な人から、どのように扱われたいのだろうか?」

「そして私は、大切な人をどのように扱っているだろうか?」

と、自分がこれまで「当たり前」だと思っていたものを見つめ直すことが大切なのだと思います。

怒鳴られる・否定されることが日常だった場合

  • 「そんなこともできないの?」
  • 「お前は本当にダメだな」
  • 「黙ってろ」

もし、こうした言葉が日常的に飛び交う家庭で育ったとしたら。

もちろん、言われて嬉しいわけではありません。

傷ついたこともあったでしょう。

でも、それが毎日のように繰り返されていると、いつしか自分にとっての「見慣れた人間関係」になってしまうことがあります。

人は不思議なもので、

心地よいものではなくても、慣れているものを「普通」だと感じることがあります。

だから、大人になってからパートナーに怒鳴られたり、否定されたり、雑に扱われたりしても、

「夫婦ってこんなものなのかな」

「どこの家庭もこんな感じなんじゃない?」

と、不健全な関係に対する違和感を持ちにくくなることがあります。

穏やかに話し合う家庭で育った人からすれば、

「どうしてそんなことを許せるの?」

と驚くようなことでも、

ある人にとっては、

「いつものこと」

になっていることがあるのです。

もちろん、育った家庭環境だけで、その人が将来DVの加害者や被害者になると決まるわけではありません。

人間関係には、性格や経験、現在の環境など、さまざまな要因が関係しています。

ただ、

私たちは思っている以上に、育った家庭で「人との関わり方」を学んでいる。

ということは、一度考えてみてもいいのかもしれません。

そして、家庭環境の影響が現れるのは、DVや暴言のような分かりやすく大きな問題だけではありません。

むしろ僕が見てほしいのは、

夫婦の日常にある、ごく小さな反応です。


家庭環境の影響は「DV」のような大きな問題だけではない

ここがこの記事の独自性をかなり高めます。

多くの読者は、

「うちはDVなんてないから関係ない」

と思う可能性があります。

でも、本当に見てほしいのは日常の小さな反応です。

「パスタはどこ?」という普通の質問に強く返してしまう

「パスタはどこにあるの?」

「冷蔵庫の引き出しにあるじゃない。忘れたの!?」

ここで重要なのはパスタではなくて、

なぜ、普通の質問に対して自分はこんなに強く反応したのか?

という問いです。

もしかすると、

「一度言ったことを聞くと怒られる家庭だった」

「分からないことを質問すると馬鹿にされた」

など、過去の家庭で身についた反応が関係しているかもしれないです。


なぜパートナーの言葉だけ素直に受け取れないのか?

夫がアドバイスしたときは聞かなかった。

でも後日、友達やYouTubeでまったく同じことを聞いたら、

「これやってみようと思う」

と言う。

夫からすると、

「僕が同じことを言ったときは聞かなかったのに、なぜ?」

となる。

そこで喧嘩するのではなく、

「なぜ私は、あなたから言われたときには受け取れなかったんだろう?」

と自分を見る。

もしかすると、

親から指示や否定ばかりされていたため、近しい人からアドバイスされると「支配される」「否定された」と無意識に感じてしまうのかもしれないです。

ですから大人になっても、家族からアドバイスをされてもそれを信用しない。アドバイスを受け取らないブロック装置が勝手に発動することもあるかもしれません。


夫婦喧嘩で見るべきなのは「何が起きたか」だけではなく「なぜそう反応したか」

夫婦喧嘩になると、つい、

「どっちが悪い?」

という話になりがちです。

もちろん、何が起きたのかを振り返ることも大切です。

でも、それと同じくらい見てほしいのが、

「なぜ自分は、そう反応したんだろう?」

ということです。

  • 「なぜ私は、こんなに怒ったんだろう?」
  • 「なぜ、この言葉だけこんなに傷つくんだろう?」
  • 「なぜ、素直に謝ることがこんなに怖いんだろう?」
  • 「なぜ、相手に頼ることができないんだろう?」

こうして自分の反応を見つめていくと、目の前で起きた出来事だけでは説明できない何かが見えてくることがあります。

もしかすると、喧嘩そのものが問題なのではなく、

喧嘩をきっかけに、自分の中にずっと隠れていたものが表に出てきただけなのかもしれません。

人がある出来事に必要以上に強く反応するとき、その背景には、幼少期の経験や、育った家庭の中で繰り返し受け取ってきた言葉や態度が関係していることがあります。

「失敗してはいけない」

「人に迷惑をかけてはいけない」

「弱いところを見せてはいけない」

「人に頼ってはいけない」

「謝ったら負け」

誰かに直接そう言われたわけではなくても、家庭の中で繰り返された出来事から、こうしたメッセージを無意識に受け取り、自分の中の「当たり前」になっていることがあります。

そして大人になった今も、その当たり前がパートナーとの関係の中で反応として現れることがある。

だから夫婦喧嘩をしたとき、

「相手が何を言ったか」だけを見るのではなく、

「なぜ私は、その言葉にこれほど反応したんだろう?」

と自分に問いかけてみる。

その問いの先にあるのは、

目の前のパートナーの問題ではなく、

ずっと昔から自分の中にあったものかもしれません。

育った家庭環境による「負のループ」から抜ける5つのステップ

1) 自分が育った家庭を振り返る

両親の関係。

自分と父親との関係。

自分と母親との関係。

会話、怒り方、謝り方、愛情表現、スキンシップなどを書き出す。

心に強く残っている出来事と、そのとき感じたことを振り返る

「怖かった」

「寂しかった」

「自分は大切ではないと思った」

「人に頼ってはいけないと思った」

出来事だけではなく、その出来事から自分が何を受け取ったのかを見る。

2) 今の自分の態度や行動と照らし合わせる

「親と同じことをしていないか?」

だけではありません。

「親にされたことへの反動で、極端な行動をしていないか?」

も見る。

ここは重要です。

親と正反対に生きていても、実は過去に動かされ続けていることがあります。

3) パートナーに自分の「無意識」を教えてもらう

「僕って怒ったとき、どんな話し方になる?」

「私が無意識にしていることで気になることある?」

「一緒にいて、怖い・冷たい・距離を感じる瞬間はある?」

自分では自分の無意識は見えにくいです。

だからパートナーを「敵」ではなく、自分を映してくれる鏡として見てみるのが大事だと思います。

4) 気づいた瞬間に二人で修正していく

例:

「今、ちょっと言い方強かったかも」

「うん、少し怖く感じた」

「あ、ごめん。普通に言えばよかったね」

これでいいです。

一度で完璧に直す必要はないです。

気づく→見直す→やり直す。

これを何度も繰り返すことで、新しい夫婦の「当たり前」を作っていくことができます。

5) 負のループを抜けるには「二人で向き合う」という共通の志が必要

育った家庭環境から受け継いだ負のループを抜けるには、

「二人で関係をより良くしていこう」という共通の志が必要です。

片方だけが頑張るのではなく、

「あなたがおかしいから直して」

ではなく、

「僕たちは違う家庭で育ってきた。だから二人で、自分たちらしい関係をつくっていこう」

という姿勢を持つこと。

お互いが育った家庭の「当たり前」をそのまま持ち込むのではなく、

二人で新しい「私たちの当たり前」をつくっていく。

結婚生活とは、

「相手を変える場所」ではなく、

二人で自分たちを知り、新しい関係を創造していく場所なのかもしれません。

※DVや深刻な暴力・支配がある場合は、二人での解決よりも、まず安全の確保と専門機関への相談を優先してください。

結婚とは「育った家庭を再現すること」ではなく、二人で新しい家庭をつくること

あなたが育った家庭は選べませんでした。

でも、これから二人でどんな家庭をつくるのかは選ぶことができます。

怒鳴ることが当たり前だったなら、穏やかに話せる家庭を。

「ごめんね」を言わない家庭だったなら、素直に謝れる関係を。

触れ合いがなかったなら、自然に抱きしめ合える家庭を。

愛情を言葉にしなかったなら、「ありがとう」「愛してる」を伝えられる家庭を。

結婚とは、育った家庭の「当たり前」を再現することではなく、

二人で新しい「当たり前」をつくっていくことなのかもしれません。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

セラピスト歴約3年。施術・カウンセリングを通して、スキンシップが心身や夫婦・カップルの関係に与える影響を研究しています。

現場での経験と科学的な知見をもとに、触れ合いの大切さを発信しています。

コメント

コメントする

目次