男とは、どこか哀れな生き物です。

なぜなら、女性に自分が優秀であることを見せたいがために、お金・筋肉・車・地位・人脈などで、自分を強く見せようとすることがあるからです。
だけど、根は弱い。
僕は、男性は女性が思っている以上に脆い生き物だと思っています。
そして、その弱さを認めてしまうと、社会からどう思われるのかが怖くて仕方ない。
- 「男なんだから強くいなければいけない」
- 「弱音を吐いてはいけない」
- 「女性を守らなければいけない」
- 「結果を出さなければいけない」
そんなものを背負いながら生きています。
普段は、その弱さをうまく隠せるかもしれません。
- 仕事を頑張る
- 身体を鍛える
- お金を稼ぐ
自信があるように振る舞う。
だけど、裸になり、セックスや目合ひ(まぐわい)をするとき、その歪みは現れやすくなります。
なぜなら、そこでは肩書きも、お金も、地位も、筋肉も、自分を守ってくれないからです。
裸の自分が、そのまま相手の前に現れます。
それだけでなく、
男性はセックスがうまくなければいけない。
ずっと勃起していないといけない。
女性を喜ばせられないといけない。
女性を濡らさないといけない。
女性をオーガズムさせないといけない。
知らず知らずのうちに、男性にはこのような責任が押し寄せてきます。
すると、本来は気持ちいいはずの時間なのに、
「ちゃんとできているかな」
「満足させられているかな」
「途中で萎えたらどうしよう」
と、身体ではなく頭の中に意識が向かってしまいます。
感じるための時間が、いつの間にか「結果を出すための時間」になってしまうのです。
この社会を生きていると、男性は自分の中にある女性性とのつながりを見失いやすくなります。
安心からくる居心地のよさや、「気持ちいい」という感受性を閉じてしまう。
男性の中にあるしなやかさや、水のように身を委ねる力が遮られてしまいます。
そんなとき、その男性の不安や恐怖、社会から背負わされたものまで包み込んでくれる存在がいると、男性は安心できます。
そして僕は、その「安心」という包囲の中でこそ、男性は少しずつ男性としても成長していけるのではないかと思っています。
男性にも女性性はある

陰陽は、男性にも女性にもあります。
男性性・女性性という性質も、両方の性の中に存在しています。

僕は、男性性を「一本の槍」、女性性を「水」のようなものとして捉えています。
男性性は、一本の槍のようにまっすぐ進む力。
目的を定め、計画し、理性で考え、物事を形にしていく性質です。
一方、
女性性は水のように、しなやかに変化し、感じ、受け入れ、包み込む性質。
そこには遊び心や、少女のような無邪気さも含まれています。
どちらが優れているということではありません。
僕たちの中には、この両方の性質があります。
槍だけでも苦しくなるし、水だけでも物事を前へ進めることが難しくなる。
本来は、その両方が自分の中を巡っていることが大切なのだと思います。
ただ、この社会を生きていると、
結果を出す。
成功する。
数字を追う。
効率を求める。
計画通りに進める。
そんなことを求められる場面がたくさんあります。
気づいたらどんどん男性性に偏り、「感じる」「委ねる」「遊ぶ」「受け取る」といった女性性が閉じていきやすくなります。
特に男性という器を持って生きていると、
「男ならしっかりしろ」
「男なら弱音を吐くな」
「男ならリードしろ」
という言葉や空気に触れる機会も少なくありません。
だからこそ、自分の中の女性性を安心して開かせてくれる女性と出会うことには、大きな意味があると僕は感じています。
男性の女性性を開いてくれる女性

男性は思っている以上に、
「彼女を喜ばせることができたか」
「男性として性的に満たせているか」
というところに重みを置きやすいからです。
初めてのセックスはとても緊張します。
頭がぐるぐる回って、心臓もバクバクする。
どうすればいいのかわからない。
身体が思ったように反応してくれないかもしれない。
失敗したらどうしよう。
嫌われたらどうしよう。
不安や恐怖、自信のなさなど、自責をするための材料が一番揃っているような状態です。


そんなとき、
「大丈夫だよ」
という空気で自分を包み込んでくれる存在がいる。
うまくできても、できなくても大丈夫。
- 勃起しても、しなくても大丈夫。
- 途中で止まってもいい。
- 笑ってもいい。
- 声を出してもいい。
- 気持ちいいなら、ただ気持ちよくなっていい。
そんな安心があれば、男性は「男として何かを証明するためのセックス」ではなく、「感じるためのセックス」を知ることができます。
僕にとって、それを初めて教えてくれたのが、最初の彼女でした。
初めての彼女は20歳年上でした
少し個人的な話になりますが、この記事に深く関係しているのでお話しさせていただきます。
僕の初めての彼女は、20歳年上でした。
僕は、この方に人生を救われました。
当時の僕は自責がとても強く、人生をすごくネガティブに見ていました。
何かがうまくいかないと、すぐに悲観的になり、自分を責める。
「自分が悪かったんじゃないか」
「自分には何かが足りないんじゃないか」
そんなふうに、すぐ自分へ矢印を向けていました。
彼女は、そんな僕を包み込んで安心を与えてくれました。
天使のような、少し離れたところから見守ってくれているような存在でした。



何が起きても大丈夫。
心配しなくていい。
そんな心の余裕を見せてくれました。
そのため、僕も安心して初めてのセックスを体験することができました。
それだけではありません。
彼女は僕に、「気持ちいい」ということをもっと表現していいんだと教えてくれました。
当時の僕は、男性が気持ちいいことを声に出すのを恥ずかしがっていました。
どこかで、
「男は声を出すものではない」
「男は女性を気持ちよくする側だ」
と思っていたのかもしれません。



でも彼女は、
「大丈夫だよ」
「声に出していいんだよ」
と伝えてくれました。
気持ちいいなら、それを身体や声で表現する。
それは恥ずかしいことではなく、ごく自然なことなのだと教えてくれました。
その経験があるから、今の僕は声を出すことや、気持ちいいという感覚を声や身体で表現することに、ほとんど違和感がありません。
彼女がしてくれたことは、今振り返ると本当に大きかったと思います。
彼女は、何か特別な性のテクニックを教えてくれたわけではありません。
「感じてもいい」
「委ねてもいい」
「うまくやらなくてもいい」
という安心を教えてくれたのです。
つまり彼女は、「感じる」という、僕の中で閉じかけていた女性性を開いてくれたのだと思います。
そして僕が自責をしそうになるたびに、その尖ったものを安心で包み込み、少しずつ癒してくれました。
だから僕にとって、彼女との時間は単なる「初めてのセックス」ではありませんでした。



未熟な男性は脆いからこそ、包容力のあるパートナーとの関係が大切


男性は、身体だけが大人になっても、内側はまだ未熟であることがあります。



もちろん個人差がありますし、すべての女性が男性より成熟しているという話ではありません。
ただ僕自身の経験を振り返ると、若い男性にとって、包容力のある女性との関係から学べることはとても大きいと感じています。
男性を成長させる責任まで、女性が背負う必要はありません。
それでも、愛する人との関係の中に安心があることは、男性が自分自身で成長していくための大きな土壌になります。
植物を無理やり引っ張って伸ばすことはできません。
でも、水を与え、太陽が当たり、安心して根を張れる土を用意すれば、植物は自分の力で伸びていきます。
男性も少し似ているのではないかと思っています。
安心できる場所がある。
弱さを見せても関係が壊れない。
失敗しても人格まで否定されない。
そんな場所があると、男性は外の世界へ向かって力を使えるようになります。



安心の中で女性性が開く。
感じる力が戻ってくる。
水が流れ始める。
すると、その水に潤された男性性も、一本の槍として必要な方向へ伸びていく。
女性性と男性性が対立するのではなく、両方が巡り始めるのです。
そして二人の間でそれが巡れば、やがて家族全体にも巡っていくのではないでしょうか。
男性こそ「感じること」を学ぶ性教育が必要
性に関して言えば、僕は男性にこそ、もっと違った性教育が必要だと思っています。
避妊や性感染症について学ぶことはもちろん大切です。
でも、それだけではありません。
- 勃起しないこともある
- 途中で萎えることもある
- 女性が濡れないこともある
- オーガズムに至らないこともある
- セックスをしたくない日もある
そして何より、
男性自身も気持ちよくなっていい。
- 感じていい
- 声を出していい
- 委ねていい
- 弱くなっていい
- 素直になっていい
そういうことも、もっと早い段階で知ってよかったのではないかと思います。
セックスは、男性が女性に何かを「してあげる」だけのものではありません。
二人で感じるものです。
そして目合ひは、もっと深いところでは、どちらがリードしているのかさえわからなくなっていくものだと僕は感じています。


水と水が混ざるように、境界が少しずつ薄くなっていく。
そのためには、「うまい男」であろうとすることを一度手放す必要があります。
そんなとき、
「あなたはそのままで大丈夫」
という安心を身体ごと伝えてくれる女性の存在は、とても貴重です。
男性がリードしているように見えて、実はその男性が安心して前へ進める空間を、女性が静かにつくっていることもあります。
一本の槍がまっすぐ伸びていけるのは、その周りに水があるからなのかもしれません。
僕自身、最初の彼女と出会っていなかったら、今のように「感じること」や「目合ひ」について文章を書いていなかったかもしれません。
男性性を強くするために、男性性だけを鍛える必要はない。
むしろ一度、水の中に身を委ねてみる。
弱さも、怖さも、気持ちよさも、そのまま感じてみる。
そのとき初めて、本当の意味で男性性も育っていくのではないか。
僕は自分自身の経験から、そんなことを感じています。
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